■当社は「ITを身につけた留学生が、日本・アジア・アフリカのプロジェクトに貢献する会社です。
□求める人物像 ”バックパッカー精神”
当社代表大野は学生時代、アジア中東を放浪するバックパッカーでした。大学の休みは長くても1ヶ月くらいしかありません。その期間で、どこまでいけるか、どのくらいのお金があればいいのか、旅の前はいつも、できるだけの情報収集と、プランニングが欠かせませんでした。
いつ、どこに、どのような状態で到達しているか、何日までに帰国するには、いつまでにここを通る必要があるか、帰国日から逆算して目標到達地点の日付を出して先を想像し、段取りを考えます。また、旅を楽にするために、旅の道具はできるだけ軽く少なく、何を持っていき、何を捨てるかを常に考えながら旅支度をしていました。旅の期間と同じくらい、事前の準備と段取りに時間を割きました。それでもトラブルはたびたび起こります。
大学3年生のとき、中国を横断して中央アジアを抜ける旅行を計画しました。事前の情報も集めて旅立ったのですが、中国の西端の町まで来て、次は隣国カザフスタン、となったとき、そのトラブルが起こりました。次の国へ行くには、ビザが必要で、そのビザは、北京の大使館で発行するとのことでした。もしくは入国を飛行機でするなら、空港でビザがでるとのこと。陸路ではビザはおりない、ということでした。事前情報では、国境でビザが取れるとのことだったので、慌てました。北京まで戻るか、高いお金をかけて飛行機で行くか。大野が出した結論は、「とりあえず国境までいってみよう」でした。
その結論に至った理由はいくつかあります。まず、その情報の信憑性が低いということ。情報というより、その情報の提供者の信頼感が低かったということ。ゲストハウスでの出会いと別れを繰り返すことで、人間を判断する嗅覚が備わりました。そして、北京まで戻る日程とコストとリスク、飛行機のコストとリスク、国境まで行ってだめだったら帰ってくるとなったときの日程とコストとそのリスク。これらを勘案し、自分の条件でできることを、冷静に判断しました。旅の中で、リスクに対する嗅覚も成長したように思います。それらを冷静に考えたうえで、最終的に決めたのは、「まずはやってみよう。だめならそこから考えればいい」というマインドでした。「せっかくここまで来たんだから、行ってみよう。行ったら何とかなるかもしれない。」いろいろな考えを張り巡らせながらも、国境行きのバスに飛び乗っていました。
イミグレーションでまずは1回目のチャレンジ。応えはNo。1時間くらい粘っても応えは変わりませんでした。そのうち、係官が休憩に入ります。イミグレの外でタバコをすっています。そこに近づいていきます。
係官:「どこから来た」
大野:「日本です」
係官:「日本はベリグッドだ。おれの車もトヨタだ」
大野:「ここは寒いですか」
係官:「冬は大雪だよ。日本も雪は降るのか」
なんて世間話をしている合間に、用意したマルボロ数箱をそっと渡します。
大野:「吸います?」
係官:「ベリグッド!!」
そんな会話を1時間くらいして、係官の休憩が終わると、イミグレーションから呼ばれます。
係官:「オーマイフレンド!日本のフレンドに、特別に3日間のトランジットビザを出すぞ。向こうでビザを切り替えろ」
そう言うと、係官は笑顔でパスポートにスタンプを押してくれました。これでビザ発給です。感謝の言葉を言いながら、
残りのマルボロ数箱もプレゼントフォーユーして、隣国に渡りました。
情報を鵜呑みにして、北京に戻っていたら、ビザは取れても日にちが足りず、思うように旅ができなかったかもしれません。
「やってみてそれから考えよう。」というマインドと実行が、小さな成功を勝ち取りました。もちろん、時には失敗もあります。
「たまたまだよ」という声も耳にします。しかし、失敗や批判を恐れることよりも、「なんとかなる」という強気な判断と行動が物事を良い方向に進めることを、
大野はバックパックの旅から得ることができました。
それ以来、トラブルがあれば、まずはやってみよう、と大野は考えます。そして後年、当社を立ち上げて社員を雇うとき、このようなバックパッカーの精神や習慣を持つ人をたくさん雇いたいと考えました。
バックパッカーの習慣とマインドがあれば、必ず仕事はうまくいく。これが、当社の考える「バックパッカー精神」です。そんな「バックパッカー精神」をもつ方々と一緒に仕事ができることを、大野をはじめ当社社員は心から楽しみにしています。